直線によって画された国境の多い西アジアにおいて、イランとその西隣にあるトルコやイラクとの国境線は、稀なことだが山あいを縫って走っている。この国境線の成立の背景には、一八四七年に、ガージャール朝イランとオスマン朝間で締結された第二次エルズルム条約が重要な役割を果たしたとされる。本稿ではこの第二次エルズルム条約を起点に、イランとオスマン朝の国境問題が、一六世紀のイランで成立したシーア派政権であるサファヴィー朝とスンナ派のオスマン朝との対立に遡り、なかでも一六三九年のゾハーブ協定において国境の基本ラインが定められたこと、第二次エルズルム条約ではこのゾハーブ協定の内容を確認すべく、国境調査委員会が設置され、より詳細な国境線を定める努力がイギリス、ロシアの圧力のもとで為されたこと、そしてその結果、一九世紀中葉には、イスラームの伝統的な「境域」概念から、近代的な「線」としての国境成立の萌芽がこの地域において見られたことを明らかにする。