中国の歴代王朝は、孔子と儒教を尊重し、山東省曲阜筆の孔子廟とそこに住まう孔子の子孫を特別に保護してきた。衍聖公とは、宋代以降、本家の当主が世襲してきた爵位である。孔子の子孫は、戦争や一族の内紛によって、次第に曲阜から全国各地に散らばっていった。『新安文献志』には、大元ウルスの至正年間に、衍聖公が徽州在住の孔子の子孫に発給した極めて珍しい命令書が収録されている。この命令書は、携帯する者が孔子の正統な子孫であることを証明し、かれらが江南に進学する際に、宿泊費、旅費、食費、書籍購入費を、当地の廟学、書院が支給することを命じた一種のパスポートであった。とうじ、孔子の子孫のみならず顔子、孟子の子孫もこの特別待遇をうけられた。こうした命令書の発給が可能になった背景には、仁宗アユルバルワダ以降の朝廷によって進められた衍聖公の権力の強化と、全国から集められた孔・顔・孟三氏の家系図の整理事業があったと考えられる。